志村さんの死とはどういうことなのだろうか
フジファブリックファンの方からメンバーの山内総一郎さんの「手紙」を薦められて聴いてみた。
私が志村さんを知った時には既に亡くなって10年も経っていて、しかも29歳という若さで亡くなってしまい、このことをどう解釈していいか見当もつきそうがなかった。
富士吉田に行って、志村さんをより近く感じられ今もそこに生きているんじゃないかとさえ思った。泣きながら街を歩くはずが、なぜか爽やかな気持ちだった。
しかし、帰って手紙を聴くと、志村さんの身近にいた山内さんの愛が感じられ、志村さんの死とはこういうことだったんだ、と息もできないくらい泣いた。ファンとして遠くから眺めているのと、バンドメンバーとして身近に接してきたのでは、また違うのだと気付いた。志村さんが生きていた頃から知っていたファン、志村さんと共にいたメンバー、志村さんを死後に知ったファン。それぞれに思いは違うけど、志村さんを愛していることは同じだと思う。
どうして家族の死より志村さんの死の方が大きいのか分からなかった。
志村さんのファンは優しい方々が多い。そして、山内さんは志村さんに優しい手紙の曲を歌った。きっとそれは志村さんがとても優しさに溢れた人でたくさんの人に愛されてきたことの証なんだと感じた。
フジファブリック 手紙より
さよならだけが人生だったとしても。
(中略)
旅路はこれからもずっと続きそうな夕暮れ。
志村さんとフジメンバーとフジファンと悩みながら楽しみながら歩く旅路はきっと永遠なのだと信じている。
紫陽花より